第10章 ラクダ
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ラクダが歩くと複数の方向に揺れるのは「側対歩(ペース)」という独特の歩法を取るため(→付録4. ラクダの側対歩)
有蹄類のほとんどは、ゆっくり歩く「常歩(ウォーク)」と全速力で走る「襲歩(ギャロップ)」の中間のスピードでは「速歩(トロット)」という歩法をとる
速歩では、四肢は対角線上の二本が一緒に動く
二回の動きでサイクルが完結するので二節歩法と呼ばれる
側対歩も二節歩法だが、同じ側の前後の脚が一緒に動く
ラクダはどのスピードでも側対歩
これはラクダ独特の性質で、ほとんどの有蹄類は速駆するときはギャロップになる
ベドウィンの生活の場である砂漠では、車輪による輸送手段はラクダよりも劣っていた(Bulliet, 1990)
ラクダの属性として最も驚くべきは、あれだけ身体が大きく力が強いにもかかわらず、ときどきつばを吐いたり噛み付いたりするとはいえ、従順であること
ヒトコブラクダはすべての集団が家畜化されてしまい、本当の意味で野生の集団はもう存在しなくなってしまった
ラクダ科の生物学的な特徴
ヒトコブラクダ(Camelus dromedrius)はラクダ科のなかで現在まで存続している数少ないメンバーの一つ
ラクダ科の動物は、特にその誕生の地である北米ではもっと繁栄していた
中新世から更新世まで(2000万~200万年前)、ラクダ科は北米大陸で最も普通に見られ、多様化した草食動物だった
現在は南米やアジア、アフリカにしかいないが、このような状況になったのは進化の歴史においてはごく最近のこと
ヒトコブラクダは北アフリカやアラビア、西アジアの熱く乾燥した地域に生息している
フタコブラクダ(Camelus bactriannus)は、モンゴルのゴビ砂漠や中国北部とその隣接地域といった、寒冷で乾燥した地域に生息している
ラクダ科の系統樹の他の枝にあたるリャマ類は、北米からパナマ地峡を通って南方に移動し、アンデス山脈やパタゴニアなど、南米の寒冷で乾燥した地域に適応した
リャマ類の野生種はグアナコ(Lama guanicoe)とビクーニャ(Vicugna vicugna)の二種
家畜化されたものはアルパカとリャマの二種
ラクダ科で生き残っているものはこれで全部
ラクダ科動物は、野生でも家畜でも、偶蹄類に典型的な二本指の四肢をもち、かかとは二重滑車構造
それ以外は偶蹄類の中では異例な点が多い(ブタほどではないが)
ウシ科やシカ科の反芻動物とは歯が著しく異なっている
ラクダ科は初期の偶蹄類に見られた犬歯を保持しているが、他の現生偶蹄類では、ブタを除き、犬歯は失われている
切歯と前臼歯が一本ずつ犬歯のように先の尖った牙状になっている
ラクダの消化管には三つの胃があるが、反芻動物なら四つ
ラクダ科動物も反芻するが、これはウシ科やシカ科の反芻動物とは別に、独自に進化したもの
腰と後肢の構造も異例
肘関節と膝関節の両方を地面につける独特の休息姿勢
他の偶蹄類では肘関節はほぼ地面につくが、膝関節は地面にはつかない
蹄がないのも偶蹄類ではラクダ科のみ
二本の指の先は蹄の代わりに弾力のあるパッド状の構造で覆われていて、他の偶蹄類のような蹄のあるものよりも指を広げることができる
カリブーはかなり指を広げることができるが、ラクダには敵わない
指先が蹄のかわりにパッドで覆われているのは、進化によって二次的に得られた形質であり、最初のラクダ科動物には蹄があった(Prothero, 2009)
蹄が幅広いパッドに置き換わったことにより側対歩が安定化したといわれている(Janis, Theodor, & Boisvert, 2002)
ラクダ科の歴史
ラクダ科が進化の舞台に初めて登場したのは始新世で約4500万年前のこと(Webb, 1977)
ウシ科のように本格的に多様化しはじめたのは、約2000万年前の中新世初期
その頃、北米の森林が開けたサバンナに置き換わった
幅広く多様化したラクダ科動物は中新世を通じて繁栄し続けた
犬歯のような歯の生えたティタノティロプス(Titanotylopus)
それよりもさらに巨大でコブのあったメガティロプス(Megatylopus)
最大のメガカメルス(Megacamelus)
小型のガゼルぐらいしかなかったステノミルス(Stenomylus)
極度に鼻づらの長いフロリダトラグルス(Floridatragulus)
かなり首の長いものも数種いて「キリンのように首の長いラクダ種」と総称されている
ラクダ科の系統樹で残り二本の枝は、中新世中期(約1100万年前)に分岐したもの(Cui et al., 2007も参照)
リャマ類すべての祖先であるヘミアウケニア(Hemiauchenia)は約300万年前(鮮新世と更新世の境界)に南米に移動した
旧世界ラクダの祖先たちもすべてがほぼ同じ頃に北米を出て、ベーリング陸橋を通ってアジアに移動した
フタコブラクダとヒトコブラクダはアジアへの移住に先立って分岐していた可能性もある(Cui et al., 2007)
ヒトコブラクダの家畜化
ヒトコブラクダには、家畜化されたことを示す身体的な形跡はほんのわずかしかないが、荒涼とした環境下で生息するものが多いことを考えれば、それも当然だろう
ラクダが家畜化されたのはアラビア半島だということで専門家の意見は一致しているようだが、年代については、速くて5000年前から遅くて3000年前までの意見の相違がある
ラクダの家畜化初期の年代についてはFrifelt, 1990, Frifelt, 1991を参照。それ以降の年代についてはM. Uerpmann & Uerpmann, 2012; H.-P. Uerpmann, 1999を参照
いずれにせよ、ラクダはアラビア半島から徐々に北アフリカや西アジアに拡散し、北インドやパキスタンにまで到達した
ラクダはもともとは食肉用として家畜化されたようだが、元来は荷物運搬用だったという主張もある
M. Uerpmann & Uerpmann, 2012は後者を主張している。乳目的で家畜化されたという仮説もある。Bulliet, 1990を参照
身体のほとんどの部分は利用可能で、特に皮は二次産物として重要であり、衣服や毛布、住居に用いられている
糞も(燃料として)重要な資源だったし、乳も利用される
しかし、家畜ラクダが本領を発揮してその利用が広がったのは、輸送能力が活用されるようになってから
ヒトコブラクダは最大で約270キロもの荷を長距離運ぶことができる
交易路を切り開いたのはこのような輸送用の楽だだった
最初は銅の鉱石や精錬された銅を運び、次はアラビア半島南部からエジプトやレバント地方に香を運び、のちに塩や奴隷を乗せてサハラ砂漠を渡った(鍋運搬におけるラクダの役割についてはSapir-Hen & Ben-Yosef, 2013を参照。Grigson, 2012; Ben-Yosef et al., 2012)
歴史的に最も重要なのは、アラビアから西アジアを通ってペルシャに至るルート
ペルシャでは、ヒトコブラクダの荷と、その親戚に当たるフタコブラクダが東から運んできた荷が交換された
フタコブラクダが通ってくる東方のルートはシルクロード
シルクロードが利用されていたのは紀元前150年~紀元1450年頃だが、この間ずっと、車輪を使った乗り物には適さない道だった
この交易路のネットワークが先例のない貿易のグローバル化を引き起こすのだが、その重要な要因はラクダのパワーだった
ラクダ騎兵の活用
ペルシャのキュロス大王は、リュディア王国のクロイソス王との戦い(紀元前547年)で、駱駝騎兵を用い、リュディア群のウマはパニックを起こして逃げ惑った(Farrokh, 2007)
イスラム教徒の征服戦争や十字軍の戦いで、ヨーロッパの騎兵隊はアラブのラクダ騎兵に打ち負かされたがヨーロッパ人はその経験を生かした
ナポレオンはエジプト遠征でラクダ騎兵を活用したし、のちのアルジェリア「鎮圧」の際には、フランスのラクダ騎兵隊が極めて重要な役割を果たした
英国もラクダ騎兵隊をうまく訓練し、北アフリカ征服、特に19世紀末のマフディー戦争におけるオムドゥルマンの戦いでは、ラクダ騎兵隊が決定的な効果をもたらした
米国も19世紀なかばにラクダ隊を作ろうとしたが、これは失敗に終わった(Nabhan, 2008)
南北戦争が始まると、このラクダたちは野に放たれて自活するに任された
野生化したラクダは米国南西部では結局絶滅してしまった
ヒトコブラクダが乾燥環境に素晴らしく適応していることを考えれば、これは驚きである
だがオーストラリアでは野生化したラクダは内陸部で生きながらえ、実際、その土地に生える植物を食べつくしそうなほど増えている(Drucker, Edwards, & Saalfeld, 2010; Edwards, Saalfeld, & Clifford, 2005も参照)
今日、最も野性的なヒトコブラクダは、オーストラリア内陸部に生息する集団
ヒトコブラクダを家畜化したのはベドウィンだった
ヒトコブラクダを家畜化してからまもなく、ベドウィンは車輪のある乗り物を打ち捨ててしまい、第二次世界大戦の終わりに四輪駆動車が広く利用可能になるまで、車を使った輸送に頑なに抵抗し続けた
実用性が衰えたあとも、ラクダは文化の象徴として中心的な役割
「ラクダの民」と自らを呼んでいる
ラクダの品評会には長い歴史があるが、近年はドッグショー的な派手派手しい催しになっている
ラクダの品評会にはどんなドッグショーよりも多額の金が賭けられる
ラクダレース、すなわち競駝の掛け金はそれ以上に高額
競駝が行われるようになったのはつい最近であり、ベドウィンの伝統ではないが、重要な役割を果たしている(Khalaf, 1999; Khalaf, 2000)
競駝はアラブの首長のスポーツ
最先端の繁殖施設であるドバイ・ラクダ繁殖センターを設立
このセンターでは、日常業務として体外受精が行われ、ラクダのクローン作製に成功している(Wani et al., 2010)
ラクダのスピードは最大で時速72キロでウマにも匹敵する
側対歩のことを考えると、人間が乗ってそのスピードを出すのはウマよりもかなり難しい
また、ラクダはウマよりもはるかに持久力が高い
競駝は競馬よりも長時間勝負になるため、騎手にとっては競馬よりも危険性が高い
ラクダの騎手は、従来から貧しい人々から「勧誘」してくることになっており、競馬と同じく小さければ小さいほどよいので実際には子どもが動員される
1990年代の終りに、アラブ首長国連邦で子どもの騎手の死亡事故が少なからず発生し、それが競駝のイメージ戦略上問題となったため、対応策としてロボットジョッキーが導入された(競駝の騎手の事故についてはBener et al., 2005を参照。Caine & Caine, 2005; Tinson et al., 2007も参照)
野生のヒトコブラクダから家畜ヒトコブラクダへ
トナカイでもそうだったように、ヒトコブラクダを家畜化したのは、定住生活を送る農耕民ではなく、遊牧生活を送る狩猟採集民兼牧畜民だった(Bulliet, 1990)
トナカイと同じくラクダも過酷な環境に生息しており、人間から十分に餌をもらわずになんとか生き延びていかねばならない
今日でもなお、ほとんどの家畜ヒトコブラクダは家畜化以前とまったく変わらず自分で餌を漁っている
好きに徘徊させるが、それでも戻ってくる
おそらく長きにわたって、ラクダには狩人を避けたいという動因があっただろうに、一体何がそれを打ち負かすほどラクダを人間に惹きつけたのか
トナカイを家畜化したのがトナカイの狩人だったように、ラクダを家畜化したのもラクダの狩人だった
何に引き寄せられたにせよ、ヒトコブラクダの野生集団が絶滅してしまうに至った
家畜ヒトコブラクダはおそらく身体的には野生の祖先にかなり似ていると推測できる
いまだに祖先とまったく同じような生活を送っていて、以前と変わらぬ自然選択の枠組み内にある
ラクダの体格に対する人為選択のウェイトは軽いままだと考えるのが妥当だろう
例外は、最近、かなりの人為選択圧にさらされるようになった競駝用のラクダ(Sharp, 2012; ラクダの乳についてはNagy, Skidmore, & Juhasz, 2013も参照)
家畜ヒトコブラクダの毛色は明るい黄褐色から暗い茶色までさまざまだが、これも野生型と同じままだと考えられる
一部の地域では白いラクダがかなり珍重されるが、これは昔からかなり珍しい(Raziq & Younas, 2006)
インドのラージャスターンで白いラクダが発見されたが、人々が覚えている限りでは、それがその地域で最初の白い個体
アラビア半島では白いラクダが積極的に育種されており、他の地域よりはよく見かけられるが、それでもなお珍しいことには変わりはない(Al-Swailem et al., 2007; 白いラクダは米国でも育種されている(“White Camel Breeding Program," Lost World Ranch))
またアラビアではメラニズム(メラニン色素形成過多)で黒化した個体が賞賛されるが、これも比較的まれ(Abdallah & Faye, 2012)
米国ではウマにあるような白と茶色のぶち模様のラクダが作出されたが、アラビアや北アフリカにはぶちのラクダは事実上存在しない
ヒトコブラクダの野生の祖先は、トーマスラクダ(Camelus thomasi)(Peters, 1997; Gauthier-Pilters & Dagg, 1981)
ヒトコブラクダよりもかなり大型だったようだ(イスラエルのティムナ渓谷でで発見された素晴らしい地層については Uerpmann & Uerpmann, 2012を参照。Grigson 2012; Ben-Yosef et al., 2012も参照)
身体のサイズは在来種によってさまざま
サイズの縮小度合いには生息環境や近年では人為選択が関係しているから(たとえばWardeh, 2004を参照)
アフリカとアジアでは品種開発はまだ初期段階だが、印象的な表現型が新たに出現した地域もいくつかある
アラビアでは紅海沿岸の楽だは内陸部のラクダよりもかなり小型
競駝用品種のアセイルは四肢と首が非常に細く、乳房が未発達(AI-Swailem et al., 2007)
ヒトコブラクダの品種は、初期には平地、丘陵、沿岸などといった生息場所の生態学的条件に基づいて分類された(Leese, 1927)
それに続き、乳用、食肉用、輸送用、競駝用など、貢献する機能の種類に注目して原品種のタイプを分類しようという試み(Köhler-Rollefson, 1993a)
近年のある分類では、食肉用・乳用・肉乳兼用・競駝用の四つの品種グループが認められた(Wardeh, 2004)
アラビアのマガヒームなどの一部の品種はサブタイプ(亜型)への分化の途中にあり、将来的には複数の品種に分かれることが予想される(AI-Swailem et al., 2007)
フタコブラクダ
ラクダのキャラバンが中国からシルクロードを通って西へ向かう際、冬に出発するのが普通だった
氷点下の気温に耐え抜いて、標高の高いステップやゴビ砂漠、内陸アジアの高山地方を通っていた(Kuz'mina, 2008)
ヒトコブラクダにはとても耐えられない
実際にはシルクロードの大半が同様の状況だったので、荷物を運ぶのにはフタコブラクダが利用された(Kuz'mina, 2008)
ヒトコブラクダもフタコブラクダも、哺乳類、特に大型哺乳類ならほとんど耐えられないような極度に苛酷な環境で生き抜くことができる
ラクダは進化によって特別な解剖学的構造や生理的特性を手に入れている
コブにつまっている脂肪が呼びのエネルギー源となるので、特に悪条件でさえなければ、何も食べずに数週間は生きながらえる
ほとんどの哺乳類とは異なり、ラクダの体温は1日のうちで34度から41度まで変化することもある
体温を上下させたりすることで、体を温めたり冷やしたりするのに必要なエネルギーをかなり節約している(Schmidt-Nielsen, 1964)
また他の偶蹄類に比べて耐塩性がかなり高く(ヒツジやウシの8倍)、塩分濃度の高い食物や水分を摂取可能(Al-Ali, Husayni, & Power, 1988)
血糖値は他の偶蹄類の約二倍
高い血糖値に加えて塩分摂取量が多ければ、人間を含め、たいていの哺乳類なら重症の高血圧症と糖尿病を併発してしまうだろうが、ラクダはどちらの病気にも縁がないようだ
フタコブラクダはさらに寒さに対する適応形質も持っている
フタコブラクダは極度の高温と乾燥に加えて、風や雪に吹きさらしで氷点下になる気温にも長期間にわたって耐えなければならない
長い毛が密に生えた冬毛
冬毛は状況の変化に応じて一度にごっそり落とすこともできる
フタコブラクダの生息地では冬には水が得られない
昇華
きわめて寒く乾燥しているので雪は融解せずに一気に蒸発してしまう
フタコブラクダは、他の生き物なら低体温症になってしまうほど多量の雪を食べて、水分を入手しなければならない
フタコブラクダの英名「バクトリアンキャメル」のバクトリアンはアリストテレスが原産地を誤解して呼んだため(アリストテレス『動物誌』第2巻、第1章 498b9)
当時、ギリシャ人がバクトリアと呼んでいた地域は、北はパミール高原、南はヒンドゥークシュ山脈、西はアムダリャ(古代名オクトス)川にはさまれた地域で、現在のアフガニスタン北部
家畜化はおそらくもっと東方の、モンゴル南部や中国北部からカザフスタン東部で始まったと考えられる(Cui et al., 2007; Trinks et al., 2012はもっと西方寄りが起源だとする。Schaller, 1998)
フタコブラクダの家畜化
フタコブラクダの家畜化の時期や場所について、現在明確に断言できることはほとんどない
だが紀元前4000年頃までには、フタコブラクダはもともとの分布域の外側、特にトルクメニスタンに現れ始めた(Potts, 2004)
そこから西方(と南方)に向かってじわじわと移動し続け、家畜フタコブラクダは紀元前3000~2000年のいつかの時点でアフガニスタンに到達し、紀元前2000年頃にはパキスタンに到達した(Potts, 2004)
イランはフタコブラクダ誕生の地だと主張されることもある(Peters & von den Driesch, 1997)が、フタコブラクダがイランに現れたのはパキスタンよりもあとのこと
紀元前1000年頃までにはアッシリアにも見られるようになった
おそらく、シャルマネセル三世などアッシリア王国を統べる歴代の兄弟な支配者たちへの貢物としてイランから贈られてきたのだろう
ダニエル・ポッツによれば、イランでもアッシリアでも、フタコブラクダの主な利用法は、その地域に既に存在していたヒトコブラクダとの雑種を作ることだったという(Potts, 2004)
フタコブラクダの雄とヒトコブラクダの雌をつがわせるのが普通だった
その結果生まれてくるのは、コブがひとつで両親どちらの種よりも大きく強靭なスーパーラクダ
この雑種は力が強く、積載能力が500キロ近くと高かったために珍重された
やがて雑種作製はイランから西はシリアやアナトリア、東はアフガニスタン西部まで広がった
雑種が作成されていたこの地域の東側は、事実上ラクダと言えばすべてがフタコブラクダの地域であり、その大半は家畜化されている
ジャイアントパンダよりもフタコブラクダのほうが野生の個体数が少なく、1000頭に満たない
中国にはフタコブラクダが400~500頭ほど残存しているという報告がある (Hare, 1997)
野生フタコブラクダと家畜フタコブラクダの相違点で最も印象的なのは背丈
野生個体はかなりほっそりとして四肢が長く、ヒトコブラクダによく似ている
家畜個体は四肢が短めでかなりどっしりしている(Nowak et al., 1997)
家畜フタコブラクダと現存する野生フタコブラクダの比較については、以下の重要な点に留意せよと警告されている
野生フタコブラクダ集団は広い範囲に散在するが、どの集団も家畜フタコブラクダの直近の祖先であると証明されてはいない
野生フタコブラクダと家畜フタコブラク ダのゲノムにはかなり大きな相違 (約3%) があることから、家畜フタコブラクダの野生の祖先は、現存する野生フタコブラクダとは異なる亜種だった可能性が考えられる
それゆえ、家畜フタコブラクダの野生の祖先は、今日の野生フタコブラクダよりも、今日存在する家畜フタコブラクダのほうに似ていたかもしれない
体全体のサイズの縮小も家畜化では一般的に起こるが、フタコブラクダの場合は逆のことが起こったようだ
フタコブラクダでは積載能力の向上を目指した選択が行われたことを反映しているのかもしれない
家畜化の最中にコブにも何かが起こったようだ
野生は円錐状だが、家畜フタコブラクダは円錐状というよりは円柱状(Irwin, 2010)
行動面の違い
家畜個体のほうがもちろん従順性が高い
野生個体は極端に警戒心が強く人間を嫌っているが、これは何世紀にもわたって人間に徹底的に狩られてきたことの反映だろう
このような行動面の違いのほうが身体的な違いよりも目立っている
ヒトコブラクダと同様に、家畜化されても苛酷な環境にさらされていたために、解剖学的・生理的な面で家畜化に関連する表現型の変化は抑えられている
ラクダの運命
トナカイと同じように、地球上で元来人間が住めなかった領域を居住可能にしてくれた
加えて、世界をつなげる役割
イエメンから中国に至る交易路のネットワークはラクダ二種の比類ない生理的能力に決定的に依存していた
ヒトコブラクダとフタコブラクダはほぼ同じ時代に家畜化されたようだが、他の家畜に比べてかなり最近のこと
ラクダのあとは、半家畜化されたにすぎないともいわれるトナカイしかいない
2010年のデータでは、家畜ヒトコブラクダは約1500万頭、家畜フタコブラクダは約200万頭(Faye, 2013)
→第11章 ウマ