第10章 ラクダ
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速歩では、四肢は対角線上の二本が一緒に動く
二回の動きでサイクルが完結するので二節歩法と呼ばれる 側対歩も二節歩法だが、同じ側の前後の脚が一緒に動く
ラクダはどのスピードでも側対歩
これはラクダ独特の性質で、ほとんどの有蹄類は速駆するときはギャロップになる
ラクダの属性として最も驚くべきは、あれだけ身体が大きく力が強いにもかかわらず、ときどきつばを吐いたり噛み付いたりするとはいえ、従順であること
ヒトコブラクダはすべての集団が家畜化されてしまい、本当の意味で野生の集団はもう存在しなくなってしまった ラクダ科の生物学的な特徴
ラクダ科の動物は、特にその誕生の地である北米ではもっと繁栄していた
中新世から更新世まで(2000万~200万年前)、ラクダ科は北米大陸で最も普通に見られ、多様化した草食動物だった 現在は南米やアジア、アフリカにしかいないが、このような状況になったのは進化の歴史においてはごく最近のこと
ヒトコブラクダは北アフリカやアラビア、西アジアの熱く乾燥した地域に生息している
ラクダ科の系統樹の他の枝にあたるリャマ類は、北米からパナマ地峡を通って南方に移動し、アンデス山脈やパタゴニアなど、南米の寒冷で乾燥した地域に適応した ラクダ科で生き残っているものはこれで全部
ラクダ科動物は、野生でも家畜でも、偶蹄類に典型的な二本指の四肢をもち、かかとは二重滑車構造 それ以外は偶蹄類の中では異例な点が多い(ブタほどではないが) ラクダ科は初期の偶蹄類に見られた犬歯を保持しているが、他の現生偶蹄類では、ブタを除き、犬歯は失われている 切歯と前臼歯が一本ずつ犬歯のように先の尖った牙状になっている ラクダの消化管には三つの胃があるが、反芻動物なら四つ
ラクダ科動物も反芻するが、これはウシ科やシカ科の反芻動物とは別に、独自に進化したもの
腰と後肢の構造も異例
肘関節と膝関節の両方を地面につける独特の休息姿勢
他の偶蹄類では肘関節はほぼ地面につくが、膝関節は地面にはつかない
蹄がないのも偶蹄類ではラクダ科のみ
二本の指の先は蹄の代わりに弾力のあるパッド状の構造で覆われていて、他の偶蹄類のような蹄のあるものよりも指を広げることができる
カリブーはかなり指を広げることができるが、ラクダには敵わない 指先が蹄のかわりにパッドで覆われているのは、進化によって二次的に得られた形質であり、最初のラクダ科動物には蹄があった(Prothero, 2009) ラクダ科の歴史
ウシ科のように本格的に多様化しはじめたのは、約2000万年前の中新世初期 その頃、北米の森林が開けたサバンナに置き換わった
幅広く多様化したラクダ科動物は中新世を通じて繁栄し続けた
かなり首の長いものも数種いて「キリンのように首の長いラクダ種」と総称されている 旧世界ラクダの祖先たちもすべてがほぼ同じ頃に北米を出て、ベーリング陸橋を通ってアジアに移動した ヒトコブラクダの家畜化
ヒトコブラクダには、家畜化されたことを示す身体的な形跡はほんのわずかしかないが、荒涼とした環境下で生息するものが多いことを考えれば、それも当然だろう
ラクダが家畜化されたのはアラビア半島だということで専門家の意見は一致しているようだが、年代については、速くて5000年前から遅くて3000年前までの意見の相違がある
いずれにせよ、ラクダはアラビア半島から徐々に北アフリカや西アジアに拡散し、北インドやパキスタンにまで到達した
ラクダはもともとは食肉用として家畜化されたようだが、元来は荷物運搬用だったという主張もある
身体のほとんどの部分は利用可能で、特に皮は二次産物として重要であり、衣服や毛布、住居に用いられている
糞も(燃料として)重要な資源だったし、乳も利用される
しかし、家畜ラクダが本領を発揮してその利用が広がったのは、輸送能力が活用されるようになってから
ヒトコブラクダは最大で約270キロもの荷を長距離運ぶことができる
交易路を切り開いたのはこのような輸送用の楽だだった
歴史的に最も重要なのは、アラビアから西アジアを通ってペルシャに至るルート ペルシャでは、ヒトコブラクダの荷と、その親戚に当たるフタコブラクダが東から運んできた荷が交換された
シルクロードが利用されていたのは紀元前150年~紀元1450年頃だが、この間ずっと、車輪を使った乗り物には適さない道だった
この交易路のネットワークが先例のない貿易のグローバル化を引き起こすのだが、その重要な要因はラクダのパワーだった
ラクダ騎兵の活用
イスラム教徒の征服戦争や十字軍の戦いで、ヨーロッパの騎兵隊はアラブのラクダ騎兵に打ち負かされたがヨーロッパ人はその経験を生かした
ナポレオンはエジプト遠征でラクダ騎兵を活用したし、のちのアルジェリア「鎮圧」の際には、フランスのラクダ騎兵隊が極めて重要な役割を果たした 南北戦争が始まると、このラクダたちは野に放たれて自活するに任された
野生化したラクダは米国南西部では結局絶滅してしまった
ヒトコブラクダが乾燥環境に素晴らしく適応していることを考えれば、これは驚きである
今日、最も野性的なヒトコブラクダは、オーストラリア内陸部に生息する集団
ヒトコブラクダを家畜化してからまもなく、ベドウィンは車輪のある乗り物を打ち捨ててしまい、第二次世界大戦の終わりに四輪駆動車が広く利用可能になるまで、車を使った輸送に頑なに抵抗し続けた
実用性が衰えたあとも、ラクダは文化の象徴として中心的な役割
「ラクダの民」と自らを呼んでいる
ラクダの品評会には長い歴史があるが、近年はドッグショー的な派手派手しい催しになっている
ラクダの品評会にはどんなドッグショーよりも多額の金が賭けられる
ラクダレース、すなわち競駝の掛け金はそれ以上に高額
競駝はアラブの首長のスポーツ
最先端の繁殖施設であるドバイ・ラクダ繁殖センターを設立
ラクダのスピードは最大で時速72キロでウマにも匹敵する
側対歩のことを考えると、人間が乗ってそのスピードを出すのはウマよりもかなり難しい
また、ラクダはウマよりもはるかに持久力が高い
競駝は競馬よりも長時間勝負になるため、騎手にとっては競馬よりも危険性が高い
ラクダの騎手は、従来から貧しい人々から「勧誘」してくることになっており、競馬と同じく小さければ小さいほどよいので実際には子どもが動員される
野生のヒトコブラクダから家畜ヒトコブラクダへ
トナカイと同じくラクダも過酷な環境に生息しており、人間から十分に餌をもらわずになんとか生き延びていかねばならない
今日でもなお、ほとんどの家畜ヒトコブラクダは家畜化以前とまったく変わらず自分で餌を漁っている
好きに徘徊させるが、それでも戻ってくる
おそらく長きにわたって、ラクダには狩人を避けたいという動因があっただろうに、一体何がそれを打ち負かすほどラクダを人間に惹きつけたのか
トナカイを家畜化したのがトナカイの狩人だったように、ラクダを家畜化したのもラクダの狩人だった
何に引き寄せられたにせよ、ヒトコブラクダの野生集団が絶滅してしまうに至った
家畜ヒトコブラクダはおそらく身体的には野生の祖先にかなり似ていると推測できる
いまだに祖先とまったく同じような生活を送っていて、以前と変わらぬ自然選択の枠組み内にある ラクダの体格に対する人為選択のウェイトは軽いままだと考えるのが妥当だろう 家畜ヒトコブラクダの毛色は明るい黄褐色から暗い茶色までさまざまだが、これも野生型と同じままだと考えられる
インドのラージャスターンで白いラクダが発見されたが、人々が覚えている限りでは、それがその地域で最初の白い個体
米国ではウマにあるような白と茶色のぶち模様のラクダが作出されたが、アラビアや北アフリカにはぶちのラクダは事実上存在しない
身体のサイズは在来種によってさまざま
アフリカとアジアでは品種開発はまだ初期段階だが、印象的な表現型が新たに出現した地域もいくつかある
アラビアでは紅海沿岸の楽だは内陸部のラクダよりもかなり小型
ヒトコブラクダの品種は、初期には平地、丘陵、沿岸などといった生息場所の生態学的条件に基づいて分類された(Leese, 1927) フタコブラクダ
ラクダのキャラバンが中国からシルクロードを通って西へ向かう際、冬に出発するのが普通だった
ヒトコブラクダにはとても耐えられない
ヒトコブラクダもフタコブラクダも、哺乳類、特に大型哺乳類ならほとんど耐えられないような極度に苛酷な環境で生き抜くことができる ラクダは進化によって特別な解剖学的構造や生理的特性を手に入れている
コブにつまっている脂肪が呼びのエネルギー源となるので、特に悪条件でさえなければ、何も食べずに数週間は生きながらえる
ほとんどの哺乳類とは異なり、ラクダの体温は1日のうちで34度から41度まで変化することもある
血糖値は他の偶蹄類の約二倍
高い血糖値に加えて塩分摂取量が多ければ、人間を含め、たいていの哺乳類なら重症の高血圧症と糖尿病を併発してしまうだろうが、ラクダはどちらの病気にも縁がないようだ フタコブラクダはさらに寒さに対する適応形質も持っている
フタコブラクダは極度の高温と乾燥に加えて、風や雪に吹きさらしで氷点下になる気温にも長期間にわたって耐えなければならない
長い毛が密に生えた冬毛
冬毛は状況の変化に応じて一度にごっそり落とすこともできる
フタコブラクダの生息地では冬には水が得られない
きわめて寒く乾燥しているので雪は融解せずに一気に蒸発してしまう
フタコブラクダは、他の生き物なら低体温症になってしまうほど多量の雪を食べて、水分を入手しなければならない 当時、ギリシャ人がバクトリアと呼んでいた地域は、北はパミール高原、南はヒンドゥークシュ山脈、西はアムダリャ(古代名オクトス)川にはさまれた地域で、現在のアフガニスタン北部
フタコブラクダの家畜化
フタコブラクダの家畜化の時期や場所について、現在明確に断言できることはほとんどない
だが紀元前4000年頃までには、フタコブラクダはもともとの分布域の外側、特にトルクメニスタンに現れ始めた(Potts, 2004) そこから西方(と南方)に向かってじわじわと移動し続け、家畜フタコブラクダは紀元前3000~2000年のいつかの時点でアフガニスタンに到達し、紀元前2000年頃にはパキスタンに到達した(Potts, 2004) 紀元前1000年頃までにはアッシリアにも見られるようになった フタコブラクダの雄とヒトコブラクダの雌をつがわせるのが普通だった
その結果生まれてくるのは、コブがひとつで両親どちらの種よりも大きく強靭なスーパーラクダ
この雑種は力が強く、積載能力が500キロ近くと高かったために珍重された
やがて雑種作製はイランから西はシリアやアナトリア、東はアフガニスタン西部まで広がった
雑種が作成されていたこの地域の東側は、事実上ラクダと言えばすべてがフタコブラクダの地域であり、その大半は家畜化されている
野生フタコブラクダと家畜フタコブラクダの相違点で最も印象的なのは背丈
野生個体はかなりほっそりとして四肢が長く、ヒトコブラクダによく似ている
家畜フタコブラクダと現存する野生フタコブラクダの比較については、以下の重要な点に留意せよと警告されている
野生フタコブラクダ集団は広い範囲に散在するが、どの集団も家畜フタコブラクダの直近の祖先であると証明されてはいない
野生フタコブラクダと家畜フタコブラク ダのゲノムにはかなり大きな相違 (約3%) があることから、家畜フタコブラクダの野生の祖先は、現存する野生フタコブラクダとは異なる亜種だった可能性が考えられる
それゆえ、家畜フタコブラクダの野生の祖先は、今日の野生フタコブラクダよりも、今日存在する家畜フタコブラクダのほうに似ていたかもしれない
体全体のサイズの縮小も家畜化では一般的に起こるが、フタコブラクダの場合は逆のことが起こったようだ
フタコブラクダでは積載能力の向上を目指した選択が行われたことを反映しているのかもしれない
家畜化の最中にコブにも何かが起こったようだ
行動面の違い
家畜個体のほうがもちろん従順性が高い
野生個体は極端に警戒心が強く人間を嫌っているが、これは何世紀にもわたって人間に徹底的に狩られてきたことの反映だろう
このような行動面の違いのほうが身体的な違いよりも目立っている
ヒトコブラクダと同様に、家畜化されても苛酷な環境にさらされていたために、解剖学的・生理的な面で家畜化に関連する表現型の変化は抑えられている
ラクダの運命
トナカイと同じように、地球上で元来人間が住めなかった領域を居住可能にしてくれた
加えて、世界をつなげる役割
イエメンから中国に至る交易路のネットワークはラクダ二種の比類ない生理的能力に決定的に依存していた
ヒトコブラクダとフタコブラクダはほぼ同じ時代に家畜化されたようだが、他の家畜に比べてかなり最近のこと
ラクダのあとは、半家畜化されたにすぎないともいわれるトナカイしかいない
2010年のデータでは、家畜ヒトコブラクダは約1500万頭、家畜フタコブラクダは約200万頭(Faye, 2013)